はじまる

適当な事を適当に書く

シティボーイは農村ユートピアの夢を見る

両親とも農家の家系(地方出身者はだいたいそうだと思うけど)で「食い物はあるが、現金がない暮らしがどれだけ辛いか」を幼少期から聞かされて育った。

 

都市部出身者、というか農業と縁のない人間関係の中で生きてきた人達には、農業を「お金に縛られない、夢のような生活様式」と思っているひとが少なくない。中年や壮年の相応の社会経験がある人達でもだ。

 

映画「おおかみこどもの雨と雪」には非現実な農村ユートピアが登場する。ああいったものが実在していて、すべての農村はああである、と思っている人が少なくない。「両親の家は農家だった」というと、目をトロンとさせ「羨ましい」とまで言われたこともある。

 

当然だが、人間が生活には金がかかる。医者にかかるにも、子供に教育を受けさせるにも金が必要だ。「人はパンのみに生きるに非ず」というあるように、余興も必要だろう。

鬼のように気性の激しい父親が、「お母ちゃん(私の祖母)が、俺が中学にあがるときに、家にお金なんてないのに、なんとか工面して、新品の学生服を用意してくれた。」と号泣しながら語ったこともある。現金収入の乏しい当時の農家の家庭では、衣服は同じ着古しを何十年も着て、制服なども誰かのおさがりを貰ってくるのが当たり前だ。

 

金から自由になる、金のことを気にしなくてよくなるのは、天涯孤独で淡々とした生活を好む仙人のような奇人か、使い切れないほどの金を持っている人達だけだろう。

 

うちの家系は結局、両家どちらも農家を廃業して勤め人をやってる。畑は残っているので、趣味・運動として、できる範囲の面積・規模で農作をやっている親類もいる。そのくらいのスタンスがいいだろう。